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氾濫するかたちたちの反乱|山﨑健太

 演劇を観る観客は多くの場合、舞台上に提示されるものを現実の何かしらの表象として受け取っている。その演劇がいわゆるリアリズムに基づいていれば、現実の何かしらとその表象との間に存在するはずの差異が意識されることはほとんどなく、そもそもそれが表象であることをことさらに意識することもない。現実の何かしらとその表象は等号で結ばれ、ぴたりと貼りつき一体となった両者の関係は安定している。だが、三枚組絵シリーズ『伸り反り』の観客はまず、等号の先に何が置かれているのかを問うところからはじめる必要に迫られる。

 冒頭の場面はこうだ。公演会場となったBUoYは元は銭湯の地下空間で、今回の上演ではその空間に並び立つ柱の1本を舞台の中央に据えるようなかたちで舞台となる空間が設定されている。上演がはじまると、下手手前から柱のある舞台中央あたりへと歩み出た俳優が、その手に持った台車(長方形の板に4つの車輪がついたもの)を柱に向かって右側の地面に置く。俳優は出てきた方向に戻りかけるが、不意に方向転換をすると、客席の前を横切るようにして上手手前の空間へと去っていく。同じ俳優が上手手前から舞台中央へと歩み出て、今度はドラム式延長コードとスピーカーを台車の上に置く。延長コードの先は上手手前へと伸びている。その俳優が下手中央へと去っていくのと入れ替わるようにして下手奥から別の俳優が登場し柱の向かって左側に立つと、観客の側を向いて何かを手に持ちそれをハサミで切るようなジェスチャーをはじめる。舞台美術と呼べるもののない剥き出しの空間で、ほとんど俳優の身体のみを素材として舞台は進行していく。最初の俳優が今度はイスを手に持って下手手前から登場し、台車の上に置く。延長コードのドラムとスピーカーが座面の下の空間に収まるかたちだ。俳優はおもむろにイスに腰かけると、右左の順で両足をやや前に出し(踵が地面につくような格好である)、手のひらを下に向けた状態で両腕を肩よりやや低い位置まで持ち上げる。その姿は車を運転しているようにも、パソコンのキーボードを打っているようにも見えるのだが、やがてそれは車イスに座った老人であることが明らかになる。このような個別具体的な知覚の揺らぎこそ、私が『伸り反り』という作品に見出す愉悦の大きな部分を占めるものである。

 さて、しかしここで改めて考えたいのは、一人目の俳優が台車やイスを運搬していた時間は一体なんだったのかということである。もちろんそれらの行為ははじめから上演のための準備に見えなくもない。そのように観ていた観客もそれなりにいるだろう。いや、大多数の観客がそのように観ていたかもしれない。だが、それが単に上演のための準備だったのだと言い切ることができるのは、厳密にはようやく俳優がイスに座ってからのことに過ぎない。そこに至るまでの時間には、意識しようがいまいが、舞台の上で行なわれているそれが何を表象しているのか、等号の先に何が置かれているのかという問いが貼り付いている。最終的に明らかになるのは、等号の先に置かれているものなどなかった、そもそも等号をそこに見出そうとしていたこと自体が錯誤だったのだという事実なのだが(しかし果たして本当にそう言い切ってしまうことは可能なのだろうか。私には理解できなかっただけで、本当は等号の先に何かが置かれていたのだという可能性はないのだろうか)、舞台の上に提示されていたものに、そして観客の意識にぼんやりと取り憑いていた問いは、それが即座に忘れられるとしても、なかったことにはならない。目の前にあるものの向こう側に何かがあるのだという、ぼんやりとした予感。

 続く場面についても考えてみたい。先に触れた冒頭の場面では、車イスの老人・大山の同居人であるその子が、外出のため「隣人」に大山の世話を頼む。そのやりとりの最中、下手手前からまた別の俳優が現れると右手を斜め下に突き出した奇妙な姿勢のままよたよたと舞台中央に向かっていき、並んで立つその子と「隣人」との間を無理矢理に通り抜けると柱の裏を回って上手手前へと去っていく。『伸り反り』ではしばしば、キュビズム絵画のように複数の時空間が舞台上で重ね合わされ、あるいは一つの時空間が切り開かれ引き伸ばされるようにして配置されるのだが、ここでも、その子と「隣人」が割って入る人物を意に介さないことから、異なる二つの時空間が重ね合わされているらしいことがわかる。では、重ね合わされたこの場面は何なのか。
 私はその姿勢と動きから、その人物が犬に引っ張られるようなかたちで散歩をしているのだと思った。ところが後に読んだ台本には、その人物は「乗客1」として記載されていた。どうやらよたよたとしていたのは走行中の新幹線の通路を歩いていたかららしい。しかし「乗客1」が通過したその時点で観客がそれを知ることはほとんど不可能である。観客は、次の場面でその子が「友だち1」とともに新幹線で移動しているのを見てようやく、等号の先に新幹線を置くだろう。つまり、奇妙なことに「乗客1」は物語上、新幹線が登場する以前にその乗客として舞台の上に表われているのだということになる。いや、この言い方はあまりに物語の論理に拠り過ぎているかもしれない。その子が乗ろうが乗るまいが新幹線はあらかじめ存在しているわけで、物語の進行に先がけてそれが舞台上に「登場」したところで何の不思議もないからだ。
 だが、そもそも観劇中に、その子たちの新幹線の場面から遡るかたちであの人物を新幹線の乗客として見出した観客が果たしてどれだけいただろうか。それよりはむしろ、「乗客1」が通ったからこそ、そこに新幹線が表われたのだと考えたい。それが犬の散歩をする人であろうと新幹線の乗客であろうとあるいはそれ以外であろうと、あのよたよたした歩みとその軌跡こそが、舞台上に新幹線の空間を呼び込んだのだと。『伸り反り』において新幹線は常に、上手手前から舞台中央の柱の裏を経由して下手手前に向かう、奇妙に折れ曲がった空間として表象される。その折れ曲がりの軌跡がはじめて舞台上に引かれるのが「乗客1」が舞台上を横切るその瞬間なのだ。言い換えれば、「乗客1」があのようなルートを辿ったからこそ、新幹線は折れ曲がったかたちで舞台上に表われることになったのではないだろうか。

 

 一見したところ奇妙な論理に思えるかもしれない。だが、『伸り反り』というタイトルが暗示するように、あるいはフランシス・ベーコンに由来する三枚組絵シリーズの名が示すように、「かたち」は強烈な磁場でもってこの作品を駆動している。たとえば、車の運転をしているかのような大山の姿勢に呼応するようにして、やがて隣人は教習所の卒検に向けて運転の練習をはじめるだろう(しかもその練習は、かたちのうえでは実際の車の運転と区別がつかない)。あるいは、冒頭の場面でその子が錠剤のパッケージを(それが錠剤であったと私が知るのは台本を読んでからのことなのだが)ハサミで切り分けていたのに呼応するように「友だち2」はボタン電池をハサミで開封し、さらには錠剤を飲む大山の動きを真似るようにして、まさに大山がその動きをしたその場所で、そのボタン電池を水で飲み下すことになる。その行動は「友だち2」の意志ではなく、舞台上の「かたち」の論理によって引き起こされている。だから、「友だち2」は自らそのような行動を取りながら「飲んじゃったかも……」と呟くほかない。続くのは遠く離れた場所で大山の世話をする「隣人」の「朝ごはん食べよ。薬飲まないと」というセリフだ。

 

 反復され、増殖し、物語に擬態して舞台を覆うかたちたち。ひとたび「かたち」の論理が人間の意思を超えてその行動を規定したとき、舞台の上には走馬灯のようにかたちたちが氾濫することになる。それこそがこの『伸り反り』という作品のクライマックスだと言ってよい。「友だち2」の家で酔い潰れる「友だち1」。チャイムによって大山のもとに呼び出される「隣人」。ローソンで買い物をするその子たちと他の客。「げろ吐いたら意味ないよ。がんばって消化しよ」という隣人の言葉に呼応するようにして流れる、ボタン電池が体内で消化されたらどうなるかについての「注釈」の音声。帰りの新幹線でその子が嘔吐し、走行中の新幹線の扉を開けようとすると「友だち2がやってきて、その子を襲う」。「友だち2が壊れ、のたうちまわる」と書かれたこの場面は前半で展開された映画『エイリアン:ロムルス』の一場面の再現の反復だ。
 細部を書き連ねようと思えばいくらでも続けられるのだが、ひとまずこのあたりにしておこう。『伸り反り』が示すのはものごとの駆動論理としてのかたちたちである。まずは演劇の原理的追求として示されるそれは、しかし決して現実と無関係なわけではない。

山﨑健太(やまざき・けんた)

1983年生まれ。批評家、ドラマトゥルク。演劇批評誌『紙背』編集長。WEBマガジンartscapeでショートレビューを連載。ほかに「現代日本演劇のSF的諸相」(『S-Fマガジン』、早川書房、2014年2月~2017年2月)など。2019年からは演出家・俳優の橋本清とともにy/nとして舞台作品を発表。これまでの作品に『カミングアウトレッスン』(2020)、『セックス/ワーク/アート』(2021)、『あなたのように騙されない』(2021)、東京芸術祭ファーム2022 Farm-Lab Exhibitionでの国際共同制作によるパフォーマンス試作発表『Education (in your language)』(2022)、『フロム高円寺、愛知、ブラジル』(2023)、『Q&Q』(2023)がある。

​三枚組絵シリーズ「伸り反り」劇評

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​©三枚組絵シリーズ

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